チャイムの音がやけに響いて聞こえる深夜。
玄関のドアを開けた瞬間、思いっきり強い力で引き寄せられた。
久しぶりの香りが一瞬で鼻腔に戻ってくる。 (嗚呼、彼の匂いだ、)
気が付けば、彼の胸に半ば飛び込むように収まってしまった。


「ねえ、ここ玄関だからさ、」


なかに入って、そう言いかけたところで彼の抱きしめる力が強まった。
おかしい。彼は何も言わない。
わたしの肩に顔をうずめたまま黙りこくっている。顔が見えないから、表情もわからない。





彼はいつも余裕たっぷり、なの、に、
こんな彼は初めてではないのか



















しばらくの静寂。
わたしたちはただ、温もりを共有して立ち尽くしていた。
なにもいわずに、ただ抱きしめ合って。




「    、」


ゆっくりと静かに、今日初めて彼の口が紡ぐ。


「うん?」


消えそうな声に耳をすませる。


「    、」









わたしの、なまえ









小さく震える声でたしかに紡がれたその音に、泣きそうになってしまった。


何度も何度も、彼はわたしの名前だけを呼ぶ。
そしてわたしを抱きしめる。
痛いくらいの力で、わたしの存在を、彼自身の存在を、確かめるみたいに。












どうしたの?
なにかあったの?
泣いてる、の?




そんな言葉が喉を出かけて、だけど吐き出せなかった。
どんな台詞も、役に立たない。
いま必要なのはそんな言葉じゃない。
言葉はなんの意味も持たない。









浮かんだ言葉を飲み込んで、ただ彼の背中に腕を回した。彼の名前を音にしながら。









泣かないで、大丈夫、私はここにいる。 なんて言えないけど、
心の中で何度だって叫びながらきみの平穏を祈るから。









ちっぽけな祈りの言葉と
わたしのぬくもりがきみに届けばいい。





20091024
20091117, 加筆修正