#006 あの桜並木も あの坂道も あの公園も あの交差点も この街には何ひとつとしてないのに 空気も 空の色も 冬の匂いも 何もかもが違うのに 目を閉じて反芻する あの交差点に在った彼の後姿を ぼくに気付いて「よ、」と笑う顔を ずっと昔から変わらない、少し癖のある話し方を ぼくの名前をつくる口の形を なつかしい、あの声を 18になったばかりの春 まだまだ寒い、生まれ育ったあの街を出て ぼくはこの街に来たけれど ぼくはいまでも彼を思い出している 彼がいるはずのないこの街で、 彼の欠片をさがしている #007 ぼくらには約束はない 約束をできるだけの間柄でもない 約束ができないことは知っている きみには大切な人がいる だから もうあんなふうに会えることなんてないとおもう だけど もう一度会いたいね、と 会おうね、と ぼくはきみに言いたかった その場限りの言葉になっても たとえそんなふうになっても 約束を胸に抱いて ちいさなちいさな糧にして きっと生きていけると思ったんだ 叶うことなんかなくても ちっぽけな嘘でも #008 あのころ ぼくは彼を忘れようとはしなかった いや できなかった 彼に出逢ってからいままで たくさんの、ほんとうにたくさんの時間が過ぎた ぼくの人生のほとんどに彼がいた 彼を忘れることは、 彼がいたことを忘れることは、 自分の人生の忘れることだった 彼を忘れたら しあわせだった時間を忘れたら 笑っていた自分を忘れたら 残るものなんて何もないんだと そう思ったら馬鹿みたいに泣けた 結局ぼくは 思い出の中を生きている 忘れたらぼくは きっとしぬんだ #009 きみの生きる街には この冬、雪が降りましたか ぼくの暮らす街には ほんの少し薄っぺらい雪が舞っただけでした この冬は人生で一番寒くなかったニセモノの冬でした ぼくは悲しい 生まれ故郷の冬の感覚を少しずつ忘れていく自分が ぼくらが育ったあの街の冬の匂いが懐かしいよ 雪が積もった道を歩く感触が、音が、恋しいよ 耳から聴こえる冬の唄 あの冬聴いてたあの唄を、ぼくは今でも好きでいるよ 聴く度にきみのことを思い出してしまうけれど #010 寝不足のときは決まって、 昔の夢をみる かれが笑う夢を だけどかれは18さいの姿かたちのまま かれはいまでもあんなふうに笑うんだろうかと 滲む視界のなかでおもった back |